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Đề Thi Số /2
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問題8 次の(1)から(4)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
(1) かつて、仕事は人生のすべてを捧げるべき「聖域」であり、個人はその全生涯をかけて会社に尽くすものだと考えられていた。一方で、仕事はあくまで生活を維持するための「手段」に過ぎず、個人は私的な時間を確保するために労働を切り売りしているという見方もある。もちろん、現実はこの二つの極端な考え方の間のどこかに位置しているのだろう。しかし、近年の動向を見る限り、多くの人の意識は、仕事に全存在をかけるのではなく、生活の一部として割り切る後者の方向へと移行しているのではないだろうか。
45. 筆者は、仕事に対する現代人の意識がどうなってきていると考えているか。
2
1) 人生のすべてを会社に捧げるという意識が以前より強まっている。
2) 仕事を単なる生活の手段と割り切る考え方は消滅しつつある。
3) 仕事と私生活を明確に区別しようとする意識が強まっている。
4) 仕事を生活の維持に必要な一部の活動として捉える傾向にある。
4
3
(2) 現代社会では, 効率性や即効性のある知識ばかりが求められる傾向にある。しかし、目先の利益にのみとらわれていては、複雑に絡み合った問題の本質を見極めることはできない。哲学は、当たり前だと思われている事象を根源から疑い、思考の枠組みそのものを再構築するための学問である。けっして、現実離れした空想にふけったり、難解な用語を弄んだりする学問ではない。いかに不透明な時代であっても、哲学は私たちが正しく思考するための「土台」となるものなのだ。
46. 哲学について、筆者はどのように考えているか。
2
1) 現代社会で役立つ即効性のある知識を効率的に習得するためのものである。
2) 現実から離れた場所で、自由な想像力を駆使して理想の世界を描くものである。
3) 既存の常識を疑うことで、思考の根底にある仕組みを整え直すものである。
4) 複雑な問題を単純化し、誰にでも分かりやすい解決策を提示するものである。
3
3
(3) 世間では、天才的な芸術家が自らの感性(かんせい)だけで不朽(ふきゅう)の名作を生み出すと思われがちだ。確かに、常人にはない独創的な発想が創作の起点となるのは否定できない。しかし、その作品を「芸術」として昇華(しょうか)させるのは、その時代の文化的な土壌(どじょう)や、作品を受け入れる観衆(かんしゅう)の存在である。彼らの理解と共感があって初めて、芸術家の才能は社会的な意味を持つのであり、孤立した才能だけでは名作は完結しないのである。
47. 芸術家の才能について、筆者はどのように述べているか。
2
1) 他者の評価を気にすることなく、独自の感性を磨き続けるべきである。
2) 時代の文化的な背景や観衆の存在があってこそ、その価値が発揮される。
3) 過去の名作を研究し、時代に合わせた作品を創作することが求められる。
4) 常人には理解できないほどの独創性を持つことが、名作を生む唯一の条件である。
2
3
(4)
成功ばかりを追い求め、失敗を不名誉なものとして遠ざける風潮がある。しかし、失敗を恐れて安全な道ばかりを選んでいれば、真の独創性に出会うことは叶わない。自らの失敗を直視し、その痛みを引き受けながら原因を掘り下げていくプロセスの中にこそ、次の飛躍への種が隠されている。失敗は成功の反対側にあるのではなく、成功の一部として、その根底にあるものなのだ。失敗を徹底的に突き詰めた者だけが、真の成功という実を手にすることができる。
48. この文章で筆者が言いたいことは何か。
2
1) 失敗を回避する精神力を磨くことで、効率的に成功を収めることができる。
2) 失敗を正面から受け止め、深く追求していくことで成功へとつながる。
3) 過去の失敗に固執するよりも、将来の成功に向けて気持ちを切り替えるべきだ。
4) 独創的な成果を上げるためには、失敗の不名誉さを忘れる努力が必要だ。
2
3
問題 9 次の 1 から 3 の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1、2、3、4 から一つ選びなさい。
(1)
「失敗を肯定してみる」ということ、実はそれが創造性の源泉でもあります。効率が「無駄を省く」という合理的な側面を重視するものであるならば、創造は「無駄の中に遊ぶ」ことであり、極めて冒険的な行為です。あえて既存の枠組みから外れることを通して、正解とされてきた手法を疑い、それをあえて崩すなどして、未知の可能性を見出そうとしていきます。
創造における「完成」はひとつとは限りません。作ることとは、単に技術を磨くということではなく、ましてや誰かの模倣を完璧にこなすことでもなく、自らの内なる違和感を形に変換していくことであり、さらに言えば自分の視点が更新され、世界の見え方が変わっていくことなのです。
「失敗」という言葉は、通常は否定的な意味で使われます。「計画が失敗した」と言えば、普通はその努力が水の泡になったというのと同義なわけです。私も、失敗を繰り返して遠回りするよりは、できるだけ最短距離で成功に辿り着きたいと思っています。
しかし、表現の世界で当たり前とされているルールを「踏み外す」ことが必要な時もあります。「セオリー通りだから」という安易な納得で思考を止め、既存の表現に飲み込まれてしまうことなく、その外側に新しい価値を見出していくために。それは、無責任に間違いを許容するような怠惰な生き方に繋がるのでなく、むしろこれまでにない新しい美を紡ぎだしていくための、積極的な営みなのです。
49. 筆者によると、創造とはどのような行為か。
2
1) 既存の技術を磨き、最短距離で正解に辿り着こうとする行為だ。
2) セオリーを完璧に守りながら、誰にも真似できない作品を作る行為だ。
3) 自らの違和感を形にし、視点を変えながら未知の価値を探る行為だ。
4) 計画的に無駄を省くことで、新しい美を効率的に生み出す行為だ。
3
3
50. 創造において「失敗」することについて、筆者の考えに合うのはどれか。
2
1) 努力が水の泡になることを避けるために、排除すべき否定的な行為だ。
2) 既存のルールに縛られず、新しい価値を追求するために不可欠な行為だ。
3) 無責任に間違いを許容することで、精神的なゆとりを持つための行為だ。
4) 誰かの模倣を繰り返す中で、偶然に新しい発見をするための行為だ。
2
3
(2)
ワニの口の中に入り込んで掃除をすることで知られるナイルチドリの行動は、しばしば「共生」の典型例として紹介される。しかし、この関係を単純な利害の一致として説明してしまうと、その本質を見誤るおそれがある。
確かに、チドリはワニの歯に詰まった肉片や寄生虫を取り除くことで餌を得ており、一方のワニも口内を清潔に保つことができる。この点だけを見れば、両者の関係は合理的な相互利益に基づくものだと言えるだろう。
しかし興味深いのは、ワニがチドリを単なる「役に立つ存在」としてではなく、状況によっては捕食対象から切り離して認識しているように見える点である。チドリが口の中にいる間、ワニは本来の捕食行動を抑制するが、ひとたびその関係が途切れると、再び捕食者として振る舞う。この切り替えは、単なる本能だけでは説明しきれない柔軟さを示している。
こうした現象は、動物の行動が必ずしも固定的な本能によってのみ規定されるものではなく、状況に応じて再構成されうることを示唆しているのではないだろうか。すなわち、「敵か味方か」という単純な二分法では捉えきれない関係性が存在しうるということである。
このように考えると、共生とは単なる利益の交換ではなく、相手との関係性をその都度捉え直す過程そのものだとも言える。そこには、あらかじめ決められた役割に従うだけでは成立しない、ある種の可変的な秩序が働いているのかもしれない。
51. 筆者によると、ワニとチドリの関係の特徴は何か。
2
1) 両者が常に互いを利益をもたらす存在として認識している点。
2) ワニがチドリを完全に仲間として受け入れている点。
3) 状況によって、捕食関係と共生関係が切り替わる点。
4) チドリがワニに対して一方的に利益を与えている点。
3
3
52. 本文の内容から考えて、筆者が示唆していることは何か。
2
1) 動物の行動はすべて合理的な利益に基づいて決定される。
2) 共生関係は一度成立すると、変化することはない。
3) 動物の行動は固定的な本能ではなく、状況によって変化しうる。
4) 捕食者と被捕食者の関係は本質的に変わることがない。
3
3
(3)
翻訳は「言葉の架け橋」と言われる。元の言語を別の言語へ正確に移し替えることだと思われているが、翻訳者は原作者の意図や表現の機微を実によく観察している。優れた翻訳家は、単なる辞書的な置き換えに終始することはない。もし
原文と一言一句違わぬ翻訳こそが正解だ
と主張するなら、それは翻訳の可能性を狭めることになるだろう。なぜなら、言語にはそれぞれの文化的な背景があり、完全な一致などはあり得ないからだ。
だが、翻訳のありさまを注意深く観察していると、この「言葉の複写」の、本当の創造性が見えてくる。一般に考えられるコピーとは本質的に違うのである。言語体系が異なる以上、オリジナルの完璧なコピーは不可能である。従って翻訳者は、オリジナルを自由に解釈し、言葉を選択し、時に表現を強調する。それはオリジナルからの「創造的な逸脱」なのである。この行為は、むしろ、翻訳先の言語という生活全体のなかで、今全く新しい命を吹き込まれた別の表現が生成していると言ってもいい。
翻訳が単なる複製に留まらず、文学的な価値を持つのは、このようなオリジナルからの自由な逸脱があるからだ。私たちが翻訳書を読んで感動するのも、その逸脱の中に、新しい言葉の響きを見出すからではないか。
53.
原文と一言一句違わぬ翻訳こそが正解だ
と主張するなら、それは翻訳の可能性を狭めることになるとあるが、なぜか。
2
1) 原文に忠実すぎると、読者が内容を理解できなくなるから。
2) 翻訳者の個性が消えてしまい、作品の魅力が失われるから。
3) 言語体系の違いにより、完全な一致はそもそも不可能だから。
4) 表面的な置き換えだけでは、原文の意味が完全に再現できないから。
3
3
54. 翻訳について、筆者はどのように考えているか。
2
1) 完璧にコピーできないからこそ、新しい表現としての価値が生まれる。
2) 原作者の意図を正確に伝えるために、逸脱を最小限に抑えるべきだ。
3) 翻訳者の主観で内容を自由に改変することが、翻訳の本来の姿である。
4) 別の言語に移し替える過程で、オリジナルの意味を損なうのは避けるべきだ。
1
3
(4)
人間の学習能力や適性には、実は大きな幅がある。生まれ持った特性があり、成長の段階で著しく変化するこうした学習者を指導する際の方向性には、二つの選択肢がある。一つは、異なる理解力や関心を持つ多数の学習者が同じカリキュラムや教材を一律に学ぶようにする方法。もう一つは、それぞれの適性や能力に合わせて、いくつものレベルや学習プランを用意する方法である。
前者は効率的に有利な試みだが、その教育効果に限界があるケースが多い。後者は多様な学習者に対応できるが、準備に時間がかかり、しかも教員の負担が激増してしまうという問題を孕んでいる(注1)。
現代のインクルーシブ教育では、学習者の様々な負担を抑えつつ、個人に不公平感を抱かせない指導や環境づくりが求められている。教育に公平という意識を上手に反映させていくために、多様な学習者とできるだけ関わり、対話を行い、彼らに対する理解と共感を広げることが効果的だ。私たちは公平という感覚をどのようなときに感じ、考えるのかという点を、見つめ直したい。
私たちが公平かどうかを意識するのは、確かな不公平の予感や印象を持つときであることは間違いない。公平がきちんと保証されている場合、その状況は私たちにとって自然なことであり、問題意識が芽生えることはない。しかし教育や指導に当たっては、問題が発生してから公平について考えるのではなく、日々の学習環境に常に必要な普通の意識であるととらえたい。
(注1) 孕む:含む
55. 学習者を指導する際の問題点について、筆者が述べていることはどれか。
2
1) 同じカリキュラムで多様な学習者に対応すると、教育効果に限界が生じる。
2) 同じカリキュラムを多様な学習者に対応させるには、準備に時間がかかりすぎる。
3) 個別の学習者に対応すると、教育全体としての効果が見えにくくなる。
4) 個別の学習者に対応すると、公平に学ぶ機会が失われてしまう。
1
3
56. 教育や指導について、筆者が最も言いたいことはなにか。
2
1) 多様な学習者が、公平だという感覚を持てるカリキュラムを作り出すべきだ。
2) 学習者が不公平だと感じた場合には、すぐに原因を究明しなければならない。
3) すべての学習者にとって完全に公平な環境を提供することは極めて難しい。
4) 常に学習者にとっての公平について考えながら指導にあたらなければならない。
4
3
問題 10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から 一つ選びなさい。
言語というものは、常に流動的であり、時代とともに形を変えていく。本来、言葉は意味を伝えるための道具にすぎないはずだが、実際にはそれ以上の役割、つまり「文化の器」としての側面を強く持っている。では、なぜ言語がこれほどまでに多様な進化を遂げるのかというと、その背景には、人間がその環境に適応しようとする過程で、言葉を必要に応じて変化させてきたという歴史が深く関わっている。
人間が全く関与せず、複雑な社会を築く以前の、極めて原初的な言語の姿を「原言語」と仮定してみよう。この場合、その言語がカバーできる概念は極めて限定的で、複雑な社会構造を支えるには不十分であったはずだ。そこに生じる思考の多様性も、現代よりはるかに低かったのではないかと私は推測している。
これまでの歴史の中で、人間は自身の利便性のために、外来の語彙を取り入れ、文法を簡略化するなど、言語を絶えず「加工」してきた。しかし、グローバル化が加速した現代では、情報の伝達スピードが飛躍的に向上した結果、特定の言語(例えば英語など)への集約が進んでいる。伝統的な言葉への介入が止まったとき、その言語は本来の姿に戻るかというと、①
そう単純な話ではない
。
言語の変容は、単なる単語の入れ替えに留まらず、使う人間の「思考の枠組み」にまで深く浸透している。語彙が失われても、その言葉が規定していた価値観は簡単には消えないし、逆に新しい言葉が定着しても、古い思考習慣がその下に残存し続ける。この状態を、本来の伝統言語とも、完全に新しい言語とも区別して考える必要がある。
現在の言語の多様性は、人間が生き抜くために、他者との意思疎通を円滑にし、情報を正確に伝えようとしてきた長年の介入の結果としてもたらされた。それは決して「多様性を守るため」の活動ではなく、あくまで実利を求めた結果としての副産物だったのである。今後、絶滅に瀕した言語を保護するために、公的な資金を投入し、人為的に介入し続けるべきだという声がある。しかし、②
その是非については、慎重に議論を重ねるべきである
。
自然な言語の変化に逆らって、特定の形を維持しようとすることは、膨大な労力を要する。その労力に見合うだけの価値を、次世代がその言語に見出すことができるのか。あるいは、言語の消失が人間社会にどのような文化的損失をもたらすのか。私たちは、感情論に流されることなく、その構造を冷静に見極めなければならない。
57. 人間が関与しない状態の「原言語」について、筆者はどのように述べているか。
3
1) 自然に発生したものであるため、現代の言語よりも構造が複雑であった。
2) 社会を支えるための概念が不足しており、思考の多様性も乏しかった。
3) 人間の介入がない分、言葉本来の意味が正確に伝わる環境であった。
4) 環境の変化に左右されず、常に一定の多様性を保ち続けていた。
2
3
58. ①
そう単純な話ではない
とあるが、なぜか。
3
1) 言語の回復には、人間が介入するのと同じだけの長い時間が必要だから。
2) 新しい言葉が定着すると、古い思考の枠組みはすぐに消滅してしまうから。
3) 言語の変化は思考の枠組みにまで及んでおり、表面的な変化だけでは戻れないから。
4) グローバル化による情報の加速が、言語の自然な回復を妨げているから。
3
3
59. 現在の言語の多様性について、筆者はどのような認識を持っているか。
3
1) 様性を維持しようとする人間の強い意志と努力によって守られてきた。
2) 人間が利便性や実利を追求して介入した過程で、結果的に生じたもの。
3) 公的資金を投入して、絶滅に瀕した言葉を保護してきた成果である。
4) 外部からの語彙を取り入れず、純粋な状態を保ってきた結果である。
2
3
60. ②
その是非については、慎重に議論を重ねるべきである
と筆者が述べる理由は何か。
3
1) 伝統的な言語を維持するためには、公的資金以外の方法を検討すべきだから。
2) 言語の消失による損失よりも、維持にかかるコストの方が常に大きいから。
3) 言語の維持にかける労力と、そこから得られる価値や損失を精査すべきだから。
4) 次世代に対して、消えゆく言語を強制的に学ばせるのは不自然だから。
3
3
A
近年、子どもが失敗しないよう、大人が先回りして障害を取り除いてしまうケースが目立つ。確かに、子どもが傷つくのを見るのは辛いかもしれないが、それは真の愛情とは言えないのではないか。失敗という経験は、痛みや挫折感を伴うものの、そこから「次はどうすればうまくいくか」を試行錯誤する貴重な機会となる。自転車の練習を思い出してほしい。何度も転んで痛い思いをするからこそ、バランス感覚を身体で覚え、最終的に一人で乗れるようになるのだ。失敗を取り上げられた子どもは、困難に直面したときに自力で立ち直る「回復力(レジリエンス)」を養うことができない。大人に求められるのは、転ばないように手をつなぐことではなく、転んだ後にどう立ち上がるかを静かに見守ることである。
教育コラムより作成
B
現代社会は過度に効率と結果を求めるあまり、失敗に対する寛容さを失っているように思えてならない。特に教育の現場やビジネスにおいて、一度のミスが致命的な評価につながることも少なくない。しかし、革新的なアイデアや新しい価値というものは、数え切れないほどの失敗の積み重ねの上にしか成り立たない。大切なのは、失敗を「悪」と見なすのではなく、成長のための「データ」として捉える視点への転換である。ミスを恐れずに挑戦できる心理的安全性が確保されて初めて、人は持てる能力を最大限に発揮できるのだ。結果のみで人間を評価する(注)減点方式を改め、失敗から何を学び取ったかというプロセス自体を評価する社会的な土壌を築くことが、今強く求められている。
ビジネス誌の論考より作成)
(注) 減点方式: ミスや欠点があるごとに点数を引いていく評価方法。
61. 失敗について、AとBが共通して指摘している点は何か。
3
1) 失敗は人に苦痛を与えるため、できるだけ避けるように工夫するべきだ。
2) 失敗はマイナスなものではなく、成長や成功につながる重要な経験である。
3) 失敗を絶対に許さない現代社会のシステムを根本から変える必要がある。
4) 失敗を乗り越えるためには、周囲の大人の適切な指導が不可欠である。
2
3
62. 失敗に対する周囲の対応について、AとBはどのように述べているか。
3
1) Aは失敗から立ち直る力を鍛えるべきだと述べ、Bは失敗を恐れない心理的な強さを持つべきだと述べている。
2) Aは先回りして失敗を防ぐことが愛情だと述べ、Bは結果よりも過程を重視するべきだと述べている。
3) Aは大人が子どもの失敗を見守るべきだと述べ、Bは失敗を成長のプロセスとして評価する環境を作るべきだと述べている。
4) Aは子どもの失敗には寛容になるべきだと述べ、Bはビジネスにおけるミスは厳しく評価すべきだと述べている。
3
3
問題12 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
観光地というのは人間と同じようなものだ。一律の基準によって優劣を決めることはできない。にぎやかで誰もが憧れるリゾート地があるのと同じように、静かで派手さのない村もある。だが、どれもそれぞれに独自の価値を持っている。それを求めている旅行者が、求めているタイミングで訪れれば、そこは最高の滞在先になる。
それゆえ、私はインターネットの旅行クチコミサイトなどで、まるで自分が絶対的な評価者であるかのように、観光地や宿の優劣を断定している書き込みには激しい抵抗を感じる。もちろん、旅の感想を共有するのは悪いことではない。施設を批判したりほめたりするのも自由だ。だが、あくまでもそれは、その人の期待値と経験と価値観による判断でしかない。つい神の立場でものを言いたくなる気持ちはわからないでもないが、それはあまりに傲慢というものだろう。
私の知人が経営する山奥の小さな宿も、クチコミサイトで酷評されていることがある。それはそれでやむをえないと思っている。人気が出ると、どうしても粗探しをしたくなる人間がいるものだ。ただ、きわめて心外なのは、ないものねだりをしている評価があまりに多いことだ。たとえば、その宿のコンセプトは「日常の喧騒から離れ、何もない自然の中で静寂を味わう」というものだ。だから、知人は宿にあえてテレビも置いていないし、周辺に娯楽施設もない。ところが、その宿を酷評する(注)レビューがある。そしてその評の中には「夜は退屈でたまらない。遊ぶ場所が何一つない」と書かれている。
知人はまさしく、退屈を味わってもらうためにその宿を作ったのだ。退屈でたまらないのなら、その宿はまさに目的を果たしている。知人がそのような意味であえて省いたものを取り上げて、それがないからと批判されても、こちらとしては困ってしまう。
そのような身勝手なクチコミがなんと多いことか。刺激を求める人間がひなびた村を何もないとけなし、静けさを求める人間が繁華街のホテルをうるさいとけなす。しかし、それは単に自分の旅の目的に合っていない場所を選んだだけのことに過ぎない。きちんと自分の目的に合った行き先を探して訪れるのが、旅行者の務めだと私は思う。
旅について語るからには、あらゆる土地の個性に対して敬意を持つべきだと私は考えている。そうしてこそ、旅先を批判する資格を持つと思うのだ。
(注)酷評する:ひどく厳しい評価を下す
63. 筆者はどのような旅行クチコミが傲慢だと感じているか。
3
1) 旅の経験が浅いのに、専門家のように細かい点を指摘したもの。
2) 施設の長所を一切認めず、悪い点ばかりを強調したもの。
3) 自身の個人的な基準が絶対であるかのように評価したもの。
4) 他人の感想を無視して、自分の意見だけを主張したもの。
3
3
64. 知人の宿について筆者が心外だと感じたのはどのような評価か。
3
1) 寂を楽しむための宿なのに、周辺の自然が少ないと批判したもの。
2) 日常から離れる目的で作られた宿なのに、娯楽がないと批判したもの。
3) あえて古い建物を生かしているのに、設備が古すぎると批判したもの。
4) 何もないことを売り物にしているのに、サービスが不十分だと批判したもの。
2
3
65. 筆者によると、観光地が最高の滞在先と言えるのはどのような場合か。
3
1) クチコミサイトで高く評価され、多くの人が訪れる場合。
2) 旅行者がその土地の不便さもひっくるめて楽しめる場合。
3) 旅行者の目的やタイミングと、その場所の特性が合致している場合。
4) 施設側が旅行者の細かい要望にすべて応えてくれる場合。
3
3
66. 旅先を評価する人に対して、筆者が言いたいことは何か。
3
1) どのような場所であれ、その土地の独自性を尊重すべきだ。
2) 自分の目的に合わない場所には最初から行くべきではない。
3) 不満があったとしても、インターネットに書き込むべきではない。
4) 良い評価も悪い評価も、バランスよく客観的に書くべきだ。
1
3
問題13 下のページは、あるオンライン英会話スクールの「ビジネス英語コース」受講生募集の広告である。下の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
67. ジョンさんはあおぞら市の登録利用者(30歳)である。研究のため、以下の四つの資料が必要になり、メモをした。この中で、受付時間内に申請をすれば、その日のうちに受け取れるのはどれか。
【ジョンさんのメモ】
・雑誌バックナンバー
・視聴覚資料(DVD・CD)
・児童書(破損しやすく特別書庫にあるもの)
・古書(他館から取り寄せるもの)
3
1) 雑誌バックナンバー と 視聴覚資料(DVD・CD)
2) 雑誌バックナンバー と 視聴覚資料(DVD・CD) と 児童書
3) 雑誌バックナンバー と 視聴覚資料(DVD・CD) と 古書
4) 雑誌バックナンバー と 児童書
1
3
68. 資料の貸出申請に関して、留意しなければならないことはどれか。
3
1) 申請までに、以前借りた資料をすべて返却しておく必要がある。
2) 窓口で申請する場合、図書カードとパスワードが必要である。
3) 図書館の窓口でしか申請ができない期間がある。
4) 図書館に行けない場合の申請方法はメールのみである。
3
3
あおぞら市立中央図書館
資料の貸出申請(登録利用者)
当館に利用者登録をしている方には以下の資料の貸出が可能です。資料の種類や保管場所によって、申請方法が異なります。
Web予約システムで貸出申請ができる資料(全て中央図書館の一般書庫に保管)
種類
貸出料金
受付時間
所要日数
1. 一般図書(小説・専門書)
無料
月〜土
即日
2. 雑誌バックナンバー
無料
3. 視聴覚資料(DVD・CD)※1
無料
8:30 〜 20:00
4-a. 児童書(一般書庫にあるもの)
無料
※1 18歳未満の利用者は、保護者の同意書を窓口に提出してください。提出後、貸出可能になるまで5日かかります。
種類
受付時間
所要日数
4-b. 児童書(破損しやすいため特別書庫にあるもの)
月〜金
申請後5日
5-a. 古書(中央図書館所蔵)
5-b. 古書(他館から取り寄せるもの)
9:00〜16:30
申請後7日
※2 複写(コピー)にかかる手数料は、お問い合わせください。
・申請の時点で、返却期限を過ぎている資料がある場合、新たな資料は貸出できません。
・WWeb予約システムから申請する場合は、図書カード番号と専用パスワードが必要です。パスワードを忘れた方は、中央図書館の窓口で再発行の手続きを行ってください。
・11月1日〜11月10日、3月1日〜3月10日は、蔵書点検のため、Web予約システムの利用を停止します。この期間は、全ての資料の貸出申請を各図書館の窓口で受け付けます。
電話やメールによる申請はできませんが、郵送での申請は可能です。その場合、郵送にかかる日数も考慮して申請してください。詳しくは、お問い合わせください。
問い合わせ先:あおぞら市立中央図書館 貸出管理係(045-333-7777)
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